ここに、バルーンはない。
2022, StareReap 2.5D, ゼラチンシルバープリント, photographie collage sur toile.
きっかけは1900年初めにパリで撮られた一枚の写真だった。
当時の服装を身に纏った人々の後ろに堂々としたモニュメントがある。そのブロンズで作られたモニュメントは複数の人間の彫像が重なるようにして立ち、頭上の大きなバルーンを支えている。
パリに住み随分と時が経ったが、このようなモニュメントは一度も見たことがない。調べてみた。ニューヨークの自由の女神で知られる彫刻家Bartholdiによって作られたもので、熱気球の操縦士と伝書鳩を讃えるためのモニュメントであった。このモニュメントは現存しない。1941年、パリがドイツに占領されていた時に他の何百もの彫像とともに「溶かされた」、というのだ。
当たり前のことだが、私がハッとしたのは金属であるブロンズの彫刻は溶けるということだ。絵画や写真を破壊するには、燃やすか破くか、しかし彫像は溶けて別のものに生まれ変わるのだ。「そう、何百もの彫像と共ににどろどろと溶けていく…」。
早速カメラを片手にこのモニュメントがあった場所、Porte des Ternesに行ってみた。現在は高層ホテルが唐突に一棟聳えていて、大通り入口右側のわずかな家並みと「Ballon des Ternes(テルヌのバルーン)」というレストランの名前のみが昔の記憶を留めているだけだ。
私は古い写真当時の広場を想像しながらモニュメントがあったであろう、その辺りの風景をモノクロの銀塩フィルムに一枚一枚収めていった。熱気球という過去の技術や伝書鳩という古のコミュニュケーションに想いを馳せながら。この場所を撮影したフィルムは私自身の手により2m近い大型の銀塩写真となり、そのプリントは粗めのキャンバス上に存在感を持ってコラージュされる。
さてここからが今回の制作の要だ。
大きく拡大された銀塩写真の粒子は砂目のように荒く、そのプリントのざらついた表面上に違和感際立つStareReapプリントをぬらぬらと被せ次元を飛び越える。
それは私にとって「溶けて無くなった彫像」の不在を呼び戻すような行為なのだ。「溶ける」をキーワードに溶かしたオブジェをデジタルカメラで撮影し、さらに時の流れの重さを積み重ねるように、その溶解物中に数多のイメージを内包させる。StareReapプリントによる滑らかではあるがレリーフのような立体的で厚塗りの絵の具のようなカラー・イメージ、それと現在を表したモノクロプリント。そのふたつの衝突と融合。
その場に居合わせているかのような等身大のプリントは7点連作として並び、RICOH ART GALLERYの円形空間をパノラマとしてパリの広場をそこに現出させる。プリント上に移植された異形のイメージは時と場所の混濁とイメージの飛翔を促すだろう。
オノデラユキ