世界は小さくない─1826

2012, ゼラチン・シルバー・プリント, バライタ紙 / インクジェット・プリント, バライタ紙, 全61点

オノデラユキは、この作品で再び、「移動と身体性」の問題を扱っている。例えば、2004年の〈Roma–Roma〉では、Romaという名前をもつ2つの土地を、ステレオカメラの2つのレンズの片方ずつをつかって撮影し、また2006年の〈Below Orpheus〉では、ある失踪事件と超人伝説を追いかけて地球の裏側にたどり着き、事件現場と伝説の地という、地球上で最も遠く離れた2つの場所を写真で記録した。本作がこれらの作品群の延長線上に位置することは明らかである。
 しかしながら、今回の作品では作家、そしてカメラはどこにも「移動」していない。そのかわりに行なったのは、世界各地の地名の収集であった。集めた地名をつかって標識のようなオブジェを制作し、光採りの明るい窓のある部屋に配置して撮影した。あるシーンでは、一点の標識がどこかの地を指し示すように設置され、別のシーンでは、言語の異なる複数の地名が集うように置かれている。あるいは、地名を表す文字で部屋は溢れかえり、さながら「標識の森」の様相を呈す。
 そして、ふと窓辺に目をやれば、白く輝く光の遙か向こうに、標識が示す「場所」がたしかに存在していることに気づく。
 オノデラユキが、言葉や文字にこだわってきたのは、写真や絵画のモチーフにたいする疑問があるからだろう。そして、作家の関心は次のような問いに向かう──そもそも文字は写真の被写体として成立しうるのか? 
作品のなかで、遠く離れた極寒の地と熱帯の地、あるいは砂漠地帯が、標識によって一か所に集められ、それぞれ別の方角を指し示す。地名には、山や川、谷などその土地を構成する地理的要素が内包されている。そこに咲く花の名前、そこに住む人の名前、さらには固有の動物の名も含まれるだろう。その土地の歴史や文化、固有の要素や、外部から与えられる微妙なニュアンスも、地名から喚起される。こうした土地の固有性や外部的価値観は、さまざまな言語で表された文字によって視覚化される。また、標識の形態は、地名の擬人化に一役買い、部屋を劇場空間にも変貌させる。そうして私たちは、標識に記された地名を眺めることで、自在に空間を移動し、遠く離れた地に思いを馳せることができるのだ。
インターネットをつかえば、瞬時に遠隔地の画像や映像を入手できる現代。まるで地球の大きさが縮小したかに思える。しかし、簡単に手に入る風景が、逆に私たちの想像力を奪い、土地のもつさまざまな表情をアイコンのように一元化してしまう。先に述べたイメージにたいする作家の懐疑心が、文字をつかったこの作品で露わになる。
オノデラが、この作品に寄せた文章には、写真が発明される以前の時代を回想した、以下のようなくだりがある。
「その昔、まだ写真がなかった頃、私は遠い地の名前にあこがれた。東西南北のさまざまな場所の名。そこがどんな風景か想い描くだけで、大旅行を企てているような気分になった。地名の音の響きとその文字は私を夢想へと誘う。その地のことを想像すればするほど、その地は私から遠ざかり、そのとてつもない遠さが心地よい。そしてこの世界はなんて広大なのだろうと思った……地名は距離であり、空間であり、時間であり、自然であり、歴史であり、政治であり、関係である。私たちは何処へ行くのか?
果たして何処へ行けるのだろうか?」
私たちは、高速でロードされたイメージの氾濫のなかで生きている。地名から遙かな土地へと思いを巡らせる、ゆったりとした思索の時間こそ、私たちが失いつつあるものではないだろうか。
* ニセフォール・ニエプスにより世界最初の写真が撮影される1827年の前年。

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Paris