見る能力の拡張と誘惑
文:村上由鶴(秋田公立美術大学ビジュアルアーツ専攻助教)
1858年にナダールが気球から世界初の空中撮影を行ったとき、パリの人々は、写真を通じてはじめて上空からの街の姿を見た。空撮の技術が当たり前となった現代では、パリの人々が当時感じた驚きや感動をうまく想像することはできない。この想像力の減退は、飛行技術の発展のかたわらにいつも人間の眼の拡張としてのカメラがあったからであり、人々が自分の身体を超えて「見る」ことに強く憧れを抱いてきたからでもある。
1907年にはドイツ人のユリウス・ノイブロンナーが空撮技術としての「鳩カメラ」を発明する。アルミ製の軽いハーネスにタイマー付きのカメラを取り付け、それを鳩に着せて飛ばすというものである。なお、現在でも動物の生体の研究等を目的として、鳥類や海洋生物、陸生動物にカメラを取り付けての動画撮影は行われている。
写真史を振り返れば、この表現の主なフィールドは文字通り地上であった。日本では、ストリートでのストレートなスナップが写真表現としての大衆性を持ち、ひとつの正統としての地位を確立してきたが、そのなかでもオノデラユキの実践は独自の位置を築いてきた。 本作『Parcours – 空気郵便と伝書鳩の間』は、そのフィールドがストリートであってもストレートではない。また、被写体との邂逅を求め自らの足を使って街を彷徨うことが目的化するのでもなく、そういう写真家然とした身体の表出が目指されたものでもない。オノ デラは、上空に浮かび上がったかと思えば急降下して地下に潜るように見る人の視線と意識を誘導し、ジェットコースターのように振り回している。
ジェットコースターといえば、元郵便局だった会場に関連して、本作の重要な要素のひとつである空気郵便のシステムを、郵便の受け手や送り手としてではなく郵便物として経験した場合を想像してみたい。それは、振り回される乱暴さのなかで自分の身体の存在を再確認しながらも、どうにも興奮してしまうような経験であり、それは私がオノデラのこれまでの作品を鑑賞した時にも経験してきたことでもあった。
本展で発表された街の光景を撮った写真に施されたフォトグラムでは、実際には目に見えない地下の空間に鑑賞者の意識を誘導する。フォトグラムとは、銀塩写真のプリントの露光の際に、印画紙の上に光が当たらない部分をわざと作ることによってその影でイメージを作る手法である。地下に隠された不可視の空気郵便のコースをイメージの上に浮かび上がらせるのが、そこに「光を当てない」という方法であることは、その地下ネットワークのあり方に繋がっている。 加えて本作にはオノデラ自身の過去作のうちの未発表イメージ、そして、フランスの科学雑誌『La Nature』のコラージュなど、タイム スリップのような要素も加わる。オノデラは動物のようにその生態に即して空、地層、あるいは海といった限定的なフィールドを動き回るのとも異なり、あるいは、地を這い同時代の世相を追い求める他の写真家とも異なり、地に足をつけること-特定の技法やスタイ ル、そして、同時代性を持つことも含めて-を避けているようである。 オノデラ自身が、「初期の作品群は特に「浮遊感という共通項」があるとよく指摘されました。被写体が宙吊りになっているのは、ノ マド的な生き方をしている自分自身の態度が反映されているからでしょう。不安定であることのほうが自分にとって好ましく、また自然なことでもある[1]」と語るように、本作にもその浮遊感が見られる。ただし、オノデラの浮遊感とは、「ふわふわ」といった言葉で 表現されるようなものではなく、むしろ、ジェットコースターに乗っているときにすべての臓器が浮き上がったように感じる、あの、ゾクっとするような浮遊感ではないだろうか。 写真の歴史のはじまり以来、人間が自分の身体を超えて「見る」ことに抱いてきた憧れを、オノデラは、創作を通じて、全く独自の方法で叶えようとしているようである。本作は、見ることへの貪欲さを持って、人間の身体だけではなく、時間からも空間からも制約されない、見る能力の拡張の経験と言える。世界を完全に見通すことを実現するのではなく、イメージをあえて毀損しすることで鑑賞者を誘惑し、想像力で補せるのである。
2024年10月8日
[1] 薄井一議、大島成己、オノデラユキ、北野謙、鈴木理策、似鳥水禧、濱田祐史『Photography? End? 7つのヴィジョンと7つの写真的経験』Magic Hour Edition、2022年、p.143