Twin Birds

Yuki Onodera "Twin Birds B001",

Yuki Onodera "Twin Birds B002",

Yuki Onodera "Twin Birds B003",

Yuki Onodera "Twin Birds B004",

Yuki Onodera "Twin Birds B005",

Yuki Onodera "Twin Birds B006",

Yuki Onodera "Twin Birds B007",

Yuki Onodera "Twin Birds B009",

Yuki Onodera "Twin Birds B013",

Yuki Onodera "Twin Birds B015",

Yuki Onodera "Twin Birds B021",

Yuki Onodera "Twin Birds B025",

Yuki Onodera "Twin Birds B030",

Yuki Onodera "Twin Birds B040",

Yuki Onodera "Twin Birds B044",

Yuki Onodera "Twin Birds B046",

Yuki Onodera "Twin Birds R001",

Yuki Onodera "Twin Birds R002",

Yuki Onodera "Twin Birds R003",

Yuki Onodera "Twin Birds R004",

Yuki Onodera "Twin Birds R005",

Yuki Onodera "Twin Birds R006",

Yuki Onodera "Twin Birds R008",

Yuki Onodera "Twin Birds R009",

Yuki Onodera "Twin Birds R012",

Yuki Onodera "Twin Birds R018",

Yuki Onodera "Twin Birds R021",

Yuki Onodera "Twin Birds R025",

Yuki Onodera "Twin Birds R028",

Yuki Onodera "Twin Birds R033",

Yuki Onodera "Twin Birds R041",

Yuki Onodera "Twin Birds R050",

2021, ゼラチンシルバープリント, バライタ紙.

二つの関係。過程とは何?
私はそれを作っているの?それともそれを写真に撮っているの?
私は常に道の途中にいる。
 
まず同じ大きさの棒切れが2本用意された。双子のように。
私はこの棒切れのひとつを赤、もう一つを青と名づけ、赤は立たせて、青は横にして、それぞれ別々に写真に撮った。これがこの双子の第1枚目の誕生の写真でこれが出発点となる。
その後、それぞれに2本目の棒切れが追加されると様相(形態)は少し変化する。ここでまた写真を撮る。そして3本目の棒切れをそれぞれに追加し撮影、、、このような繰り返しをふたつ交互に同時進行で続けて行く。
ただの1本から始まった棒切れは、次々と足されていき複雑になり、二つの異なるキャラクターを持った物体となって変容(進化)して行く。ここでは2つの同時進行というルールが2つの物体の変遷に大きく関与する。
ここに彫刻や建築のような構想や設計図はなく完成もない。つまりどこへ向かうかわからない、偶然が偶然を繋ぎながら進行し終わりはない。
私たちはそこに何の想像を重ねるのだろうか?
文字?人間?動物?建築?
表意文字である漢字文化圏に育った私の場合、単純な棒切れはごく自然に文字に化けてしまうかもしれない。
一本の棒は立っているとアラビア数字の1、寝ているならば漢数字の一、その他、人、大、上、中、山、木、本、体などの漢字のように見える物体がある。
このシリーズには見せ方についても最終形態がない。つまり個々の写真群はだだのデータベースであり、これをどのように見せるか。それも変容をつづけていくのだ。

オノデラユキ
 
 

Yuki Onodera Twin Birds accrochage-1

Yuki Onodera Twin Birds accrochage-2

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Paris